20161110 あなたのナラとわたしのNARA

先日に、くまモン生みの親として有名な水野学さんのトークイベントへ。

 

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写真はトークイベントの特典、花ふきんと、明治チョコ×中川政七商店ラベルの板チョコ。柿(奈良・田原地区産)はおまけ。

 

最後に質問タイムがあり、その時に恐る恐る手を挙げ、質問をした。
最近で一番緊張した!いや、それはどうでもいいことで、本題は、その質問への水野さんの回答の中で挙がった話題と、それに対する知り合いの感想が興味深かったので記録しておこう…ということ。

 

ちなみに、トークイベントは奈良の「中川政七商店」300周年の記念で。
水野さんはそこの様々なもののデザインやプロデュースを手掛けている。

1時間という時間だったので、ふわっと、ぐっと、トントンと、笑いが起こりながら軽快に、あっという間に終わったように感じた。(楽しかった。)


さて、水野さんの回答の中で挙がった話題だけれど、
「僕は、あの商店街を1つ抜けたところにあるお餅屋さん、中谷堂、好きですよ。」
というもの。

東向き商店街と餅飯殿商店街の間にある中谷堂、たまにテレビに出演されているね。高速餅つきで。


そんな水野さんに対して知り合いの感想は、
「水野さんはとてもステキな方だけれど、やっぱりまだあんまり奈良のことは知らないわねぇ。(軽いカンジで)」

続けて、他にも良いお餅屋さんも…云々とも言っていた気がする。軽いカンジでね。水野さんを否定しているわけではない。

 

文字だとどうしてもニュアンスが伝わりにくいけれど、なんとなく、これは"地元民の"感想という印象だった。

 

奈良の、イイモノをイイカンジにヨク見せようと思考を巡らせている水野さんの言葉に対する感想としては、なんとなく腑に落ちなかった。

 

水野さんは、おそらく地元民の立場で奈良を考えることもあるだろうし、外の人間の立場で考えることもあるだろうと思う。

だから、地元民の考えとすれ違うこともあると思う。

 

わたしは地元民ではないし元々は外の人間で、でも奈良で暮らしていて、それで奈良でフツーの暮らしをしたいわけではないので「わたしの立場から見る奈良」や「わたしが思う奈良」を考える良いきっかけだった。

 

ある意味、宙ぶらりんな立ち位置でわたしは、奈良で、どんな奈良を、発見できるだろうね。

 

20161105 轟きの橋

南都銀行発行の例の問題集を進めていると、現地に行って確かめてみよう!と思えるのが嬉しく…。

 

南都八景の1つ「轟橋の旅人」の轟橋跡地と思われる場所に行ってみた。

もう橋なんてないけれど、石碑と、足元に石畳が切り替わっている目印が。

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(わかりにくすぎる…)

 

県庁の東側。

 

「うち渡る 人めも絶えず 行く駒の ふみこそならせ とどろきの橋」

奈良の街道を代表するところにかかっていた橋だから、いろんな人が行き交って足音轟くって意味かな。もちろん諸説ありだ。

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ちなみにここらへん雲井坂と呼ばれていたらしく、雲井坂の石碑もあった。

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20161015 古都祝奈良

秋といえば芸術や運動や食べ物ってことで例に漏れず、奈良もイベントが充実。

ただ、今年初めて開催!とか、広報がうまくいっていないのか、土地柄ゆえなのか・・・盛り上がっているのかどうかはナゾ。

 

先日よりちょいちょい「古都祝奈良」のアートを巡りを。「ことほぐなら」。

日本・中国・韓国の3ヶ国で、毎年各国1都市選定されて文化交流をはかる国家プロジェクトだそう。「東アジア文化都市2016奈良市」っていうらしい。その中で特にこの秋に「古都祝奈良」開催中!ってことかな?(・・・かな?)

 

印刷物にはすっごい金かかってるなぁという印象。

広報あってこそのイベントだと思うし、好印象!

 

 

 

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20161011 あうんの「あ」の方

勢いで作成したブログもこのザマ・・・。

さてどうしようかと思った矢先に奈良検定のお知らせ!

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毎年1月に検定試験があるようで、今年は受験できなかった。ならば、来年はせめて受験だけはしたい。受験するなら勉強をせねば、ということでやってます。

 

自称奈良好きではあるけれど、歴史方面はサッパリなので序盤で苦戦。

 

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今日取り掛かった問題集(南都銀行さん発行。南都銀行さんいつもお世話になってます!)での1問目、写真を見て答えよ、という問題で「東大寺南大門金剛力士像の阿形像」と答えるべきところでこの記事のタイトル。だめだ、ぜんぜんだめだ。

奈良検定受験だけでも!とはいえこれはだめ…。

 

 

さて、阿形像(アイフォーンの変換で出てこない)について。

 

仁王立ちともいうし、敵に睨みをきかせる役目として寺院の表門にいる彼ら。阿形像さんと吽形像さんがいるところは、鎌倉時代に重源によって復興された南大門。

(重源が実際に手を動かしたのではなく、重源は復興のために仏の教えを説いて寄付を募った方。)

昔は焼き討ちだなんだって壊れては復興、壊れては復興が多いことが調べていくと改めてわかる。

 

この二体の作者が判明したのは最近(最近という表現でいいのか?)で、昭和63年(1988)からの解体修理の際だった。

運慶、快慶、定覚らの仏師によって2ヶ月で作られたとある。(すごい。)

 

阿吽といって有名なのだから、どちらが左右に設置されるとか、向きとかはやはりだいたい決まっているらしい。

ただし、東大寺南大門の彼らは通常の阿吽とは位置が逆であり、なおかつ向き合っているとのことで珍しいらしい。

 

かつての平城の京、南都の東大寺はやはり別格ということ?

諸説はいろいろあるみたいだけれどね。

 

 

1問ごとに情報量がすごい。頑張れるかなぁ。三日坊主は許すことにする。(ツイッターでフォロー中の現役芸大生の漫画家がそれを推奨していた。)日が経ってまた始めたらいいよねってかんじです。

20160312 歩いてみえた街の景色

歩いてみえた街の景色をどう切り取ろうか・・・とか、どう伝えようか・・・とかそういうのってまだ全然わからず模索中だけれど、ここ数年でいくつかのSNSを経て改めてブログを選んでみた。

twitterやFB、インスタに飽きてしまったという理由ではなくて、発信する手段として改めての選択。中学生くらいの頃にもブログをやっていたような気がする・・・(記憶は曖昧だけれど、あの頃はSNSはなかったし。ただ“前略プロフ”とか“リアル”などと呼ばれるものがあって自分を発信する場はあった。)

 

わたしは今発信したいなぁというか、記録したいなぁと思うものがあって、それを綴っていけたらいいかと思う。具体的にはわたしの住むところのお店やイベントや観光のことで、ブログではSNSと違ってカテゴリ分けできるのがいいなぁ。SNSでリアルタイムに短いコメントで記録(というか脳内そのまま垂れ流し)してきたことをきちんと自分の中で消化して文章化できたらいいなぁ。