20170122 かたらい、名前がつく山から

昔から得意ではなく、中学の頃からきちんと勉強してきたことはない、歴史・日本史。

人生で一番勉強した、高校3年のセンター試験だって歴史系は受験していない。地理は受験したかな…。

 

奈良の各地を巡っていると歴史の話題は避けて通れないのだけれど、毎度頭にハテナ?を掲げており…。

ただ、年末の家族旅行で訪れた談山神社では、わたしでも聞いたことのある名前、言葉などを目にして楽しかった。純粋に!

 

談山神社のシンボルは写真奥の十三重塔。

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紅葉が有名なので、この写真では伝わらない良さ。少し申し訳ない気持ち…。

 

この場所(正確には裏の山)で「大化の改新」について話し合われたようだよ。

だからその山は「談い山」と呼ばれ、神社の由来にもなっている。

 

語らったのは、中臣鎌子中大兄皇子で、日本国について熱く語り合ったらしい。

 

そんな遠い昔の人が、日本語で、日本について、どんな風に話していたんだろうね。

当時、見えている世界は今よりも狭かっただろうけど(今はネットもあわせると広すぎる)、絶えず争いはあって、でも幸福を感じることはそりゃぁあっただろうし。

 

おとぎ話としかイメージできず、歯がゆいなぁ。

 

 

 

ちなみに奈良検定については、布団の中にいることを選択したため受験しておりません…。

20170108 家族でナラ活-年末のことですが-

今年もどうぞよろしくお願いします。今さら感がすごいのとブログの続かなさがすごい。

 

暮らす奈良のネタ集めに奔走していたわけですが、それをさらに文章にするっていうのはとても体力のいることだと痛感しているところで。

先日今年の目標を発表する場があった際にうっかりブログについて触れずに終わろうとしたら、「ブログは!?」とツッコミがあったので、ぼちぼちマイペースに更新は、したい。2017年の目標改めまして…「ブログをマイペースに更新する」!

 

さて、表題にもあるように関東にいる家族がそろって年末に奈良に遊びに来た。(昨年も来てくれていた。)

わたしももう奈良で暮らして6年目なので、家族もそれなりに関西へ足を運んだ回数も多く、正直奈良市内の観光地という観光地は行きつくしていたと思う。

そこで父の希望で奈良市を飛び出してみようということに。

 

先日話題にした桜井市大神神社へリベンジ!

奈良市からレンタカーで向かう。わたしの運転。先日ブログに記載したように大神神社までの道中、桜井市三輪そうめんが…とかそんな話を。

そして先日と同様大きな鳥居が見えてきたらまずは大鳥居の真下の駐車場に停め、写真撮影。そこから車で少しだけ先の駐車場へ移動して奥へ向かう。

 

お正月準備の施された綺麗な大神神社

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思ったより拝殿までそう遠くはなかった。地図でみると大鳥居から線路をこえて…と遠そうに思っていたけれど。線路も確か単線だったかな。単線の良い風景で、三輪駅がすぐ近くにある。

 

奈良盆地を前にして三輪山に鎮まり坐す大物主大神。人間の暮らしを守ってくれている。日本最古の神社。(酒造りの神様でもある。)

 

由緒等記載されているパンフレットを2種類もらったのだけれど、地図メインの方が可愛かったので、写真でご紹介を。神様が山に鎮まるために本殿は設けていないようで、確かに地図には本殿がない。

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広いなぁ。三輪山見どころたくさんある。

 

大神神社はお酒とうさぎでも有名。古い歴史があるのでいろいろな言い伝えがあるようだよ。

 

20161119 大きな鳥居が守る街

わたしが普段暮らす奈良市内には春日大社があり、東大寺がある(大まかに言うと)。

 

でも、奈良県内にはもっとたくさん、わたしたちを守ってくれるものがある。

先日、1人で橿原市まで車を走らせることがあった。

それまでの道中には天理市があって、天理教があるし、目的地橿原市には橿原神宮があって、ここもまた、神々しい空気が漂う(気がする)。

 

わたしは奈良市外のことになると知らないことばかりなのだけれど、改めてゆっくり車を走らせていると気づくことがたくさんあるなぁ。

 

橿原市に続いて一昨日は桜井市に行った。距離的には橿原市に行くのと変わらない。

知識として知ってはいたけれど、ここもまた大神神社(おおみわじんじゃ)に守られているんだ!と感じた。

 

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街中にドンと現れる大鳥居。

比較的最近建てられたもののようだけれど、街中にこんな大きな鳥居が建っちゃうくらいすごいんだなぁ、大神神社

車道をまたぐ鳥居の中では日本一らしい。

 

お恥ずかしながら、大神神社が「我が国最古の神社」であること、どこか別の頭では知っていたような気がするけれど、大神神社由緒を読んで、改めて再認識。

本殿を設けず三輪山に祈る神社。そうなんだ…。

 

この日は時間がなくて奥まで行けなかった。地図で見たら大鳥居から拝殿までかなりの距離だ。それもそうか…三輪山がご神体だもんな。

見所がたくさんありそうなので、今度改めて時間を設けて訪れたい。

 

 

ちなみに桜井市に入った途端「三輪そうめん○○」という看板の多いこと…。

天理市に入ると詰所があちこちで見られるように、桜井市三輪そうめん三輪そうめんにも守られているんだなぁ。

20161110 あなたのナラとわたしのNARA

先日に、くまモン生みの親として有名な水野学さんのトークイベントへ。

 

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写真はトークイベントの特典、花ふきんと、明治チョコ×中川政七商店ラベルの板チョコ。柿(奈良・田原地区産)はおまけ。

 

最後に質問タイムがあり、その時に恐る恐る手を挙げ、質問をした。
最近で一番緊張した!いや、それはどうでもいいことで、本題は、その質問への水野さんの回答の中で挙がった話題と、それに対する知り合いの感想が興味深かったので記録しておこう…ということ。

 

ちなみに、トークイベントは奈良の「中川政七商店」300周年の記念で。
水野さんはそこの様々なもののデザインやプロデュースを手掛けている。

1時間という時間だったので、ふわっと、ぐっと、トントンと、笑いが起こりながら軽快に、あっという間に終わったように感じた。(楽しかった。)


さて、水野さんの回答の中で挙がった話題だけれど、
「僕は、あの商店街を1つ抜けたところにあるお餅屋さん、中谷堂、好きですよ。」
というもの。

東向き商店街と餅飯殿商店街の間にある中谷堂、たまにテレビに出演されているね。高速餅つきで。


そんな水野さんに対して知り合いの感想は、
「水野さんはとてもステキな方だけれど、やっぱりまだあんまり奈良のことは知らないわねぇ。(軽いカンジで)」

続けて、他にも良いお餅屋さんも…云々とも言っていた気がする。軽いカンジでね。水野さんを否定しているわけではない。

 

文字だとどうしてもニュアンスが伝わりにくいけれど、なんとなく、これは"地元民の"感想という印象だった。

 

奈良の、イイモノをイイカンジにヨク見せようと思考を巡らせている水野さんの言葉に対する感想としては、なんとなく腑に落ちなかった。

 

水野さんは、おそらく地元民の立場で奈良を考えることもあるだろうし、外の人間の立場で考えることもあるだろうと思う。

だから、地元民の考えとすれ違うこともあると思う。

 

わたしは地元民ではないし元々は外の人間で、でも奈良で暮らしていて、それで奈良でフツーの暮らしをしたいわけではないので「わたしの立場から見る奈良」や「わたしが思う奈良」を考える良いきっかけだった。

 

ある意味、宙ぶらりんな立ち位置でわたしは、奈良で、どんな奈良を、発見できるだろうね。

 

20161105 轟きの橋

南都銀行発行の例の問題集を進めていると、現地に行って確かめてみよう!と思えるのが嬉しく…。

 

南都八景の1つ「轟橋の旅人」の轟橋跡地と思われる場所に行ってみた。

もう橋なんてないけれど、石碑と、足元に石畳が切り替わっている目印が。

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(わかりにくすぎる…)

 

県庁の東側。

 

「うち渡る 人めも絶えず 行く駒の ふみこそならせ とどろきの橋」

奈良の街道を代表するところにかかっていた橋だから、いろんな人が行き交って足音轟くって意味かな。もちろん諸説ありだ。

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ちなみにここらへん雲井坂と呼ばれていたらしく、雲井坂の石碑もあった。

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20161015 古都祝奈良

秋といえば芸術や運動や食べ物ってことで例に漏れず、奈良もイベントが充実。

ただ、今年初めて開催!とか、広報がうまくいっていないのか、土地柄ゆえなのか・・・盛り上がっているのかどうかはナゾ。

 

先日よりちょいちょい「古都祝奈良」のアートを巡りを。「ことほぐなら」。

日本・中国・韓国の3ヶ国で、毎年各国1都市選定されて文化交流をはかる国家プロジェクトだそう。「東アジア文化都市2016奈良市」っていうらしい。その中で特にこの秋に「古都祝奈良」開催中!ってことかな?(・・・かな?)

 

印刷物にはすっごい金かかってるなぁという印象。

広報あってこそのイベントだと思うし、好印象!

 

 

 

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20161011 あうんの「あ」の方

勢いで作成したブログもこのザマ・・・。

さてどうしようかと思った矢先に奈良検定のお知らせ!

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毎年1月に検定試験があるようで、今年は受験できなかった。ならば、来年はせめて受験だけはしたい。受験するなら勉強をせねば、ということでやってます。

 

自称奈良好きではあるけれど、歴史方面はサッパリなので序盤で苦戦。

 

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今日取り掛かった問題集(南都銀行さん発行。南都銀行さんいつもお世話になってます!)での1問目、写真を見て答えよ、という問題で「東大寺南大門金剛力士像の阿形像」と答えるべきところでこの記事のタイトル。だめだ、ぜんぜんだめだ。

奈良検定受験だけでも!とはいえこれはだめ…。

 

 

さて、阿形像(アイフォーンの変換で出てこない)について。

 

仁王立ちともいうし、敵に睨みをきかせる役目として寺院の表門にいる彼ら。阿形像さんと吽形像さんがいるところは、鎌倉時代に重源によって復興された南大門。

(重源が実際に手を動かしたのではなく、重源は復興のために仏の教えを説いて寄付を募った方。)

昔は焼き討ちだなんだって壊れては復興、壊れては復興が多いことが調べていくと改めてわかる。

 

この二体の作者が判明したのは最近(最近という表現でいいのか?)で、昭和63年(1988)からの解体修理の際だった。

運慶、快慶、定覚らの仏師によって2ヶ月で作られたとある。(すごい。)

 

阿吽といって有名なのだから、どちらが左右に設置されるとか、向きとかはやはりだいたい決まっているらしい。

ただし、東大寺南大門の彼らは通常の阿吽とは位置が逆であり、なおかつ向き合っているとのことで珍しいらしい。

 

かつての平城の京、南都の東大寺はやはり別格ということ?

諸説はいろいろあるみたいだけれどね。

 

 

1問ごとに情報量がすごい。頑張れるかなぁ。三日坊主は許すことにする。(ツイッターでフォロー中の現役芸大生の漫画家がそれを推奨していた。)日が経ってまた始めたらいいよねってかんじです。